栗と北斎の町・小布施。「北斎」の由来は、江戸時代に晩年の葛飾北斎が小布施に通い、北斎の集大成ともいえる「天井絵」をあらわしたことがきっかけといわれています。
そして、その北斎の貴重な作品が納められているのが、小布施にある美術館、北斎館です。
今回は北斎館で館長をされている安村敏信さんに小布施が北斎の町と呼ばれるに至った理由や、北斎の描く作品の面白さを伺いに行きました。
しかし、話は北斎にとどまらず…
「アートを見るのに知識なんて必要ない」「作品を入れているガラスケースなんてぶち壊しちゃえばいい」「日本では美術はもともと庶民が楽しむものだった」
美術というと高尚で少し敷居が高いものと思っていた私にとって、そんな常識を大きく覆される、アートの本質を再発見するような安村さんの刺激的なお話の数々。
まずは、「日本にもともと美術という概念はなかった?」というお話から取材ははじまりました。
美術館の中ではなく、日本人のふつうの生活の中に美術はあった
格式ある美術館長への取材ということで、最初は少し緊張しながらお話を伺いましたが、開口一番、安村館長から出てきたのは意外な言葉でした。
「もともとね、日本には『美術』なんていうものはなかったの。逆にいえば、そんな言葉がないくらい、美術的なものは日本人の暮らしの中にふつうに存在していたんだよ。掛け軸を床の間に飾ったり、世間で話題になっている版画を庶民が買ったり、屏風に絵を描いて家の中に置いてみたりね」
美術という概念自体は、明治時代にかけてヨーロッパから日本に入ってきたのだとか。当時の日本の中で美術は何かが考えられ、掛け軸や屏風、浮世絵版画が日本美術と定義されるようになります。
「それからだね。国や自治体主導で美術館がどんどんつくられて、床の間にあった掛け軸が美術館のガラスケースの中に閉じ込められるようになっちゃったのは。ふつうのものから、高尚なものへと変わってしまって、私たち日本人と美術との向き合い方も大きく変わってしまった」
だからこそ、私たち日本人がもっと身近に、もっとふつうに美術を楽しめる体験をつくりたいと考え、安村さんは活動してきました。
前職の板橋区美術館では、ガラスケースを取っ払い、絵が描かれた屏風を36畳の座敷の上に並べて、お客さんにはそれを座布団の上で見てもらう『露出展示』というものに挑戦。このような展示方法は日本でも例がなかったといいます。
「そうすると子供たちが観に来るでしょ? その当時は、なんでも鑑定団が流行っていたときだったから、うちの屏風を見ながら『ここは破損箇所が多いから安いな!』とかいってくわけよね(笑)。それでいいんだと。美術を暮らしの中に戻したいというのが私の思いですね」
町民主導でつくった世界に一つの北斎ミュージアム
そんな型破りな安村館長が2017年から館長を務めているのが北斎館。
安村館長いわく、北斎館は様々な点で他の美術館にはないユニークな点があるといいます。
「まずなんといっても、北斎の天井絵があるのは世界でここだけなんです。どのくらい貴重かというと、数年前にイギリスの大英博物館で北斎の展覧会が開かれたんです。そのときに、ヨーロッパやアメリカなど世界中から北斎の作品を取り寄せたんですが、北斎の晩年でもっとも重要な仕事と言われているのがここ小布施にある天井絵で。もちろんここにしかないからということで直々に問い合わせがきて貸与したほどです」
北斎は、江戸時代後期の豪商で文化人の髙井鴻山に招かれてアトリエを与えられたのが小布施逗留のきっかけといわれています。小布施との関わりができる中で、地元住民に祭りの山車の天井に絵を描いて欲しいと頼まれて、天井絵をあらわしたとされています。その作品が今日まで小布施の人々によって守り受け継がれています。
また、北斎館の成り立ちや運営スタイルも他の美術館とは大きく異なっているといいます。
「日本は世界でも珍しく、自治体が主導してつくる美術館がものすごく多いんです。欧米は民間主導が多いんだけど。だからここに来たとき、行政の補助金が入っているのかと思ったけど、ここはなんと一般財団法人で民間の自主財源。地域の人たちが主導してつくったのがすごいところだね」
北斎館ができるきっかけになったのは、昭和40年ごろ、当時はまだ北斎の町と小布施がうたう前で天井絵が本当に北斎のものかも定かではありませんでした。そんな中、きちんと研究をしたところ北斎のもので間違いないことがわかり、地域住民の中で貴重なこの天井絵を守ろうという運動がはじまります。そのような地域からの懸命な努力によって、1976年に北斎館が建てられました。
「役場に頼らずに自分たちの手で美術館をつくろうなんていうのは本当に珍しいですよ」
天井絵という文化を地域住民が自分ごととして捉えて、守ってきたからこそ、「北斎の町」としての小布施が育ってきたのだと思うと感慨深いものがあります。
日本初の「ミュージアムオフィス」
一方で、開館して40年以上たったことによる課題も。
「北斎館や、天井絵が地域にとって当たり前のものになってしまったということはありますね。国内だけじゃなく、世界からも人を呼べるほどのお宝がこの小布施にあるということに気づいている人が少なくなっていると感じます」
そんな北斎館の価値をいま一度、翻訳して伝えていくことが自分自身の役割だと考えていると安村館長。
「北斎館や美術というものが生活から遠ざかってしまったのであれば、みなさんに来てもらうのではなくて、みなさんの関心の中に美術館が飛び込んでいくようにしたいなと思っています」
例えば、安村さんが館長に着任してからはじまった、生活者と美術を近づける取り組みとして、「ミュージアムオフィス」があります。
「リモートワークができるようになって働く場所を選べるようになったでしょう? だったら、美術館の中で仕事ができる場所を作ってしまおうということで、日本で初めてミュージアムオフィスをつくったんです。」
「ミュージアムオフィスでリモートワークして疲れたら北斎の作品を見て癒されてもらおうと。味気ない会議室で仕事をするより、よっぽど潤いがあると思わない?(笑)」
また、美術作品を「鑑賞」するだけでなく、作品を「所有」して暮らしの中に取り入れるという新しい提案にも挑戦しています。
「絵って本当は美術館で飾ってあるのをただ鑑賞するよりも、家の中に飾って身近な環境で観てもらった方がずっといいんです。でも、北斎の絵は通常だと、版画だけで1億円を越すこともあるから庶民はなかなか手が出せない。ただ、北斎は本の挿絵もたくさん描いていて。その本を一枚ずつバラして売ることにしたらこれが結構人気が出てきて」
他にも、「門外不出の激レア作品」を全国のキュレーターが紹介し合うNHKの新番組「キュレーターバトル」にも安村さんは出演。美術の面白さに様々な角度からアプローチしています。
アップデートされ続けるのが北斎の魅力
旧来の常識に囚われず、美術館の可能性をアップデートし続ける安村さん。あまり美術に明るくない私も、安村さんが館長になっている北斎館なら行ってみたい。そんな気持ちになってきました。
では、実際に北斎館にいくにあたって、どんな風に美術作品を観れば良いのでしょう?
「美術作品の見方に正解なんてありません。人ぞれぞれ。だから観に行ってみて面白くないと思えば、ぜんぜんそれでもいいんですよ。一人ひとり感動するポイント、面白いと思うポイントは違うわけだから、自分に合った作品を見つければいいと僕は思います」
自分の感覚で面白いというポイントを見つければ良いと思うと、より自由な美術の楽しみ方ができそうです。
では、そんな安村さんから見て、北斎の魅力はどこにあると感じているのでしょうか?
「北斎の魅力は常に何歳になっても表現がアップデートされ続けていくことだね。たとえば水の表現一つとっても、若い頃は水しぶきの形の面白さが特徴的だったのが、小布施に訪れはじめる晩年期になると、水の本質にどんどん近づいていっている。水が持っている不気味さやその神秘性をぜんぶ絵の中に閉じ込めていく。小布施にある作品は、まさに北斎の波の完成形といえますね。歳を重ねるごとにどんどん進化していっているのが魅力だよ」
北斎は、生涯で30回以上も画家としての名前である号を変えたという話や、引っ越しも一生のうちで90回以上行ったという逸話も残っているそう(北斎が小布施に初めて訪れたのも、なんと83歳!)。
絵の型にはまることなく、その型を疑って、アップデートしていく北斎。美術の常識を問い直し続ける安村館長にもどこか通ずるところがあると感じます。
そんな安村さんの挑戦はまだまだ続きます。2022年には、北斎館に隣接して2階建ての新しい施設が増設されるそう。1階は飲食が楽しめるカフェテリアフロア、2階はアートに関するスペースになる予定で、ゆくゆくは「ミュージアムオフィスともつながる回廊を整備したい」と楽しげに話してくれる安村さん。
敷居が高い美術と私たちをつなぐ架け橋としての北斎館。ふだん美術に触れない方でも、きっと楽しめる場所になっているはず。
あなたも世界に一つしかない北斎館の天井絵を観にいってみませんか。